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「青松葉」語源

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水谷盛光著『実説・名古屋城青松葉事件』では、「青松葉」の語源について、以下の説を取り上げている。

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東片端の新左衛門屋敷を、青松葉屋敷と言っていた。年貢米に青松葉を刺して納めていたので、いつしかそう呼んでいた。薪を買うのに困って、まだ乾ききらぬ松葉をくべたというのは、誤りである。(渡辺霞亭)

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新左衛門家の知行米を、三ッ蔵の納屋に蔵入れするとき、他家の知行米と紛れることの無いように、米俵に青松葉を刺して区別したからであろう。(横井時綱)

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年貢米を蔵入れするとき、予め生の松葉の枝を数えておいて、一俵とごに一枝をさして、検数したからだという。(読売新聞)

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「青松葉村」に新左衛門家の知行地が在ったからだ。(大阪朝日新聞、明治三十八年八月七日投書)
「青松葉村」という村が存在した記録はないらしい。

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新左衛門家が生活に困った頃、薪の代用に青松葉をくべたことがあったので、その苦難時代を忘れないために、自ら「青松葉」と名づけていたからだ。(服部菊三郎)

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佐幕派が、青松葉をくべて暖をとりながら、密議したからだともいう。(岡戸武平)

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新左衛門は鉄砲好きであった。鋳物は青松葉を燻らせて仕上げたので、いつとはなく新左衛門の代名詞となったという。(松尾禎三)

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首謀の三士が処刑された所に青松葉が敷いてあったからだ。(春日井春恵)

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尾張家中には「渡辺」姓を名乗るものが多かった。「槍の半蔵」と異名のあった、渡辺半蔵家を始め、同族一門がそれぞれ別称を設けて区別し、新左衛門家では自ら「青松葉」と名づけていたのではなかろうか。(織茂三郎)

『実説・名古屋城青松葉事件』の著者、水谷盛光氏は

二千五百石取りの新左衛門家は、常時七十人近い人がいたという。そうした大身代の炊事の燃料は、そうとう量を要したと考えられる。それを「生の松葉」で代用したとは思えない。おそらく後人の悪口であろう。先の新左衛門家の「別称・青松葉」説を採るのが妥当でなかろうか。

と推論している。

渡辺新左衛門家の知行地に「松葉庄東条村」があった(「渡辺新左衛門家」参照)。「青松葉庄」でも「青松葉村」でも無いにしても、この「松葉庄」が知行地に在ったというのは偶然だろうか。

 

狂歌  よみ人ちらず

朝風におもひかけなく  青松葉
                    吹散されて  跡かたもなし