 | 成瀬隼人正正肥 (1835-1903)
丹波篠山藩主・青山下野守忠良の三男として江戸に生まれる。幼名欽之助。安政二年、尾張藩御付家老・犬山城主の成瀬正住の娘婿に迎えられ、名を小吉、正肥と改めた。安政四年、家督を継ぎ隼人正、尾張藩御付家老となる。犬山藩独立後、藩主になる。後、犬山藩知事になる。
|
 | 田宮如雲篤輝 (1808-1871)
名古屋城下にうまれる。通称弥太郎、後如雲。号桂園。尾張藩士大塚正甫の二男で、尾張藩町奉行・五百石田宮半兵衛の養子となる。陽明学を修め、天保十年金鉄党を組織して幕府の尾張藩に対する押し付け養子を批判。嘉永二年、徳川慶勝が尾張藩の十四代藩主となるに及び、信頼を得て種々の要職に就く。
|
 | 尾崎八右衛門忠征 (1810-1890)
勤王家。天保二年、京都近衛家に嫁した尾張徳川宗睦の娘に従い、嘉永元年帰国。安政五年京都留守居役となり、国事に奔走、安政の大獄で減禄、蟄居を命じられた。大政奉還では尾張藩を代表して活躍し、明治二年名古屋藩参政小参事となる。のち京都岡崎に寓居した。実子の忠恕の妻さだは渡辺新左衛門在綱の実妹だった。
|
 | 尾崎(荒川)甚作良知 (1840-1901)
通称甚作、号敬斎。尾崎八右衛門忠征の実子。京都で生まれるが、父と共に名古屋に帰る。十四歳のとき尾張藩士荒川伝右衛門の婿養子になる。文久二年、御小姓頭取となる。徳川慶勝の側近。王政復古の実現に力を注ぎ、参与となる。明治元年に勘定奉行、後熱田奉行などの要職に就く。
|
 | 田中国之輔(不二麿) (1845-1909)
幼名虎三郎。後国之輔。号夢山。寅亮の子として竪代官町(名古屋市東区)に生まれる。明治七年文部大輔となり、長期にわたり文教のために尽す。後イタリア公使、フランス公使、司法大臣を務め、枢密顧問官に任ぜられる。明治二十年には子爵を授けられた。
|