 | 渡辺 忠七郎 忠綱
渡辺半蔵重綱の三男。母は水野左近大夫正重の娘。
元和元年、十二歳で徳川秀忠に召されて出仕する。父重綱から半蔵家の所領の内、武蔵国比企郡三千石を与えられ幕臣となったが、元和九年七月二十二日、二十歳で没す。
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 | 渡辺 丹後守 吉綱
渡辺半蔵重綱の五男。初め大学、後半丞、丹後守。母は杉浦忠右衛門七盛嗣の娘。室は高木主水正正成の娘。
慶応十六年、駿河国府中で生まれる。実兄、忠綱の死後忠綱の跡を継ぐことを許され、元和九年、十三歳で徳川秀忠に召されて出仕する。父半蔵重綱の願出により寛永元年(1624)武蔵国比企郡で三千石を賜い、寛永二年十二月十一日新田を併せて三千五百二十石余の御朱印を下さる。寛永九年六月四日より中奥に候し、寛永十三年十月八日御書院の番士に移る。寛永十九年四月、徳川家光が日光へまいるときに諸士の旅宿を分賦する。同年、松平伊賀守忠晴が駿河国田中城を賜るとき、八月二十四日森次郎兵衛重継とともに仰せを承り彼地に赴き城引渡しの役を勤める。十月二十六日番頭に進み、十二月晦日に布衣を着ることを許される。慶安三年九月三日、徳川家綱に附属され、西城御小姓組の番頭となる。慶安四年二月二十二日、尾張大納言(徳川)光友への御使いを承り彼地に赴く。のち、本城の勤となり、八月十六日従五位下丹後守に叙任する。承応三年七月三日御書院の番頭に移り、万治二年八月二十一日御留守居に転じた。寛文元年七月二十一日、御側に進む。同年十一月八日、大阪城の定番となる。この日、河内国志紀、古市、丹北、和泉国大鳥、泉五郡の内において新恩一万石を賜り、すべて一万三千五百石余を領し諸侯に列し、のち大井藩を立藩して武蔵野本に居所を構えた。寛文二年三月六日、大阪に赴く暇を申し出たとき親筆の和歌及び御料の御羽織、時服五領、黄金十枚を賜る。寛文四年四月五日、改めて領知の御朱印を下さる。寛文五年九月十六日、また大阪に赴く暇を申し出たとき常麻の御刀及び時服、羽織、黄金などを賜り、十月四日御手ずから伽羅を拝賜する。寛文八年六月十九日、大阪に於いて没す。淨閑吉綱院と号す。三河国寺部村の守綱寺に葬られる。
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 | 渡辺 半彌 近綱
渡辺丹後守吉綱の子。母は高木主水正正成の娘。
寛永十一年うまれる。正保四年八月二十二日、十四歳で徳川家光に見えたてまつる。慶安四年八月十日、父に先立ちて十八歳で没す。法名空心。三河国寺部村の守綱寺に葬られる。
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 | 渡辺 半丞 利綱
渡辺丹後守吉綱の子。母は高木主水正正成の娘。
寛永十五年生まれる。承応元年八月二十五日、十五歳で初めて徳川家綱に拝謁する。明暦三年七月二十三日、父に先立ちて二十歳で没す。法名宗清。三河国寺部村の守綱寺に葬られる。
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 | 渡辺 越中守 方綱
渡辺丹後守吉綱の嫡子。二代目大井藩主。母は高木主水正正成の娘。初め半助、後越中守。初め正綱。妻は松平民部少輔氏信の娘。
寛永十七年生まれる。承応三年六月七日、十五歳で初めて徳川家綱に拝謁する。万治二年十二月二十七日、従五位下、越中守に叙任する。寛文二年三月朔日、此後山吹間に於いて拝謁すべき旨を仰せつかまる。寛文八年、父の危篤により暇を賜り、大坂に赴く。八月二十一日遺領を継ぐ。二十五日、父の遺物、長光の刀を奉る。寛文十一年五月十日、仰せを受けて近江国水口城を守衛する。延宝八年二月朔日没す。四十一歳。道閑方綱院と号す。父吉綱の開基した根津の忠綱寺に葬られる。
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 | 渡辺 備中守 基綱
渡辺藤蔵長綱の長男。母は石河伊賀守正光の娘。初め半次郎、後主殿、備中守。従五位下。妻は渡辺越中守方綱の娘。
寛文五年、尾張国名古屋で生まれる。延宝八年、十六歳にて大井藩主・渡辺越中守方綱の臨終に臨み、養子と成り、その娘を娶る。三月二十九日、養父の遺領を継ぐ。八月十八日、初めて将軍徳川綱吉に拝見する。貞享元年二月二十七日、初めて所領に行く暇を賜る。元禄十一年、武蔵国の領地を近江国野洲、栗太、蒲生、高嶋四郡の内に移され、居所を和泉国大鳥郡大庭寺に移す。元禄十四年三月二十八日、大坂の定番となり、四月四日従五位下備中守に叙任する。享保七年十一月十一日、年頃怠り無い勤務を賞せられて鉄砲三十丁を賜う。享保十二年四月十八日、大庭寺村の居所を和泉国伯太に移す。七月二十五日、年頃の勤労を思し召され、蔵米三千俵を賜う。享保十三年七月十九日、大阪に於いて没す。六十四歳。廣宣基綱院と号す。和泉国泉郡大津村の南溟寺に葬られる。
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 | 渡辺 越中守 登綱
渡辺備中守基綱の長男で、二代目伯太藩主。初め源十郎、後駿河守、丹後守、越中守。従五位下。母は渡辺越中守方綱の娘。室は松平駿河守定陳の娘。後室は松平駿河守定陳の次女。
元禄七年、野本で生まれる。宝永五年九月二十八日、十五歳にて将軍徳川綱吉に拝謁する。十二月十八日従五位下駿河守に叙任し、後丹後守に改める。享保十三年、父基綱が大坂城の守衛中に危篤したことにより、七月十五日、大坂に赴く暇を賜り、二十二日三河国赤坂にて父の死を知る。そこから江戸に引き返し、九月十六日遺領を継ぐ。享保二十年六月十三日初めて領地へ行く暇を賜う。後、越中守に改める。明和四年九月十日致仕し、十月二十一日没す。七十四歳。道臺登綱院と号す。南溟寺に葬られる。
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 | 山口 修理亮 弘長
渡辺備中守基綱の三男で山口但馬守弘豊の養嗣子となる。母は渡辺越中守方綱の娘。初め右近、後修理、修理亮。
山口但馬守弘豊の養子となり、五代目牛久藩主となる。
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 | 渡辺 大進 充綱
渡辺越中守登綱の長男。母は松平駿河守定陳の娘。初め源十郎、後右近、大進。
病により嫡を辞する。
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 | 渡辺 豊前守 信綱
渡辺越中守登綱の次男で、三代目伯太藩主。母は松平駿河守定陳の娘。初め源三郎、後主殿、豊前守。従五位下。室は松平近江守近明の娘。後室は久留島信濃守光通の娘。
享保十二年生まれる。延享元年十月二十七日、嫡子となる。延享二年三月二十五日、初めて将軍吉宗に拝謁し、明和四年九月十日封を継ぐ。同年十二月十六日、従五位下、豊前守に叙任する。延享六年六月十五日、初めて領地に行く暇を賜る。安永元年一月二十二日、伯太にて没す。四十六歳。道現信綱院と号す。
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 | 渡辺 丹後守 伊綱
渡辺豊前守信綱の次男で、四代目伯太藩主。初め亀松、後源一郎、丹後守、中務少輔。従五位下。室は山口修理亮弘長の娘。
宝暦七年生まれる。後嫡子となり、安永元年三月二十四日、十六歳で遺領を継ぐ。安永二年十二月朔日初めて将軍家治に拝謁する。安永三年十二月十八日従五位下丹後守に叙任する。安永四年五月十五日、初めて封地に行く暇を賜る。天明三年四月十八日致任し、七月九日、中務少輔に改める。
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 | 渡辺 越中守 豪綱
渡辺豊前守信綱の三男で、五代目伯太藩主。従五位下、越中守。
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 | 渡辺 大学頭 春綱
渡辺越中守豪綱の長男で、六代目伯太藩主。従五位下、大学頭。
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 | 渡辺 越中守 規綱
渡辺越中守豪綱の六男で、七代目伯太藩主。従五位下、越中守。
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 | 渡辺 備中守 潔綱
渡辺越中守規綱の子で、八代目伯太藩主。従五位下、備中守。
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 | 渡辺 備中守 章綱
渡辺備中守潔綱の子で、九代目伯太藩主。従五位下、備中守。
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