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渡辺図書家

 

渡辺図書家略系図

 

渡辺図書家人物伝

 

bullet渡辺 図書助 宗綱

渡辺半蔵守綱の次男。母は平岩新左衛門親重の娘。初め半四郎、後図書助。従五位下。妻は小栗忠左衛門久次の娘。

天正十九年、十三歳で徳川家康に仕える。文禄元年、仰せにより徳川秀忠に奉仕し、慶長五年、真田昌幸の守る信濃国上田城の攻撃に参加する。慶長十八年、御使番となり、慶長十九年大阪陣に従い所々の御使を務め、元和元年の大阪陣では仰せをうけたまわり大阪城中に赴き、帰って事の様子を言上する。徳川家康が駿府へ出馬する時、秀忠は宗綱を御使として関東の處置を問わせて、また江戸にあった陸奥国の諸軍に出馬の仰せを下す。宗綱は佐和山に行き、上洛して京都に於いて家康公の軍を待つように、また敵が出兵したら交戦するようにと復命する。五月四日から六日、山田十太夫重利、太田善太夫吉正、近藤勘右衛門用政と共に先手の諸将への御使を務める。七日、川口長三郎近次、天方主馬通直と共に仰せを賜って天王寺本町より千貫櫓に行く。敵は既に城門を閉ざしていたので宗綱らは塀を破って突入する。敵兵は塀の内より槍を突き出し、さらに鉄砲を放ち、宗綱らは退いた。八日、豊臣秀頼の自害後、井伊掃部頭直考、安藤対馬守重信に従い、今村彦兵衛重長、石川八左衛門政次と共に大坂城内に赴く。元和三年、御目付に進む。この年、加藤肥後守忠広と家臣が不和を生じ、忠広及び家老らは江戸に呼ばれる。このとき、山田十太夫重利と共に仰せを受けて、加藤家の領地肥後国に赴き、罪ある者を糺明して処罰を行う。元和五年六月、福島左衛門大夫正則がその領地、安芸備後両国没収されるとき、安藤対馬守重信、永井右近大夫直勝が城請取の役をつかまった。そのとき宗綱は中川半左衛門忠勝と一緒に御使を承り、牧野主馬介、東條伊豆守長頼に付いて、福島家の領地に赴き、正則の手書をその家臣に渡す。この時家臣は異議無く領地を退くことになり、その事を注進する。元和八年秋、最上源五郎義俊の断絶の時、宗綱は命によって伊達陸奥守政宗の雑兵三千人を率いて出羽国に赴き、最上領内の城を受け取る。これより先、しばしば采地を加増され、相模、上野、上總の三国の内、三千七百石を知行する。寛永三年、上洛に従い、この年従五位下、図書助に任じられる。元和九年六月二十五日、御弓頭に移り、元和十一年、百人組の頭に移る。同年、将軍徳川家光の上洛の時、美濃国の山中に於いて番衛をする。その時鉄砲を持って通る者を見つけ出し、五人を捕らえて糺明して処罰を行った始末を賞せられ、七月十六日手づから御料の羽織を賜う。元和二十年三月二十六日、仰せを受けて常陸国下館城を守衛する。承応三年十二月十九日、職を辞し、万治元年六月十四日致仕する。寛文五年四月十六日没す。八十七歳。法名道演。後、代々の葬地とする。

bullet渡辺 図書 清綱

渡辺図書助宗綱の長男。
母は小栗忠左衛門久次の娘。初め半三郎、後図書。妻は渡辺大隈守綱貞の娘。後室は三枝土佐守守惠の娘。

寛永八年六月朔日、十一歳で初めて将軍徳川家光に拝謁する。万治元年六月、家を継ぐ。寛文七年四月十日、御弓頭となり、十二月二十八日布衣の着用を許される。寛文十一年四月九日、御持弓頭に移り、延宝三年三月十日、百人組頭に進む。元和元年九月二十六日、故あって職を許されて、小普請となる。元禄十年十二月五日、致仕し、宝永三年九月十五日没す。法名清休。

bullet渡辺 源太左衛門 綱久

渡辺図書助宗綱の二男。渡辺源五左衛門成綱の養子となる。母は小栗忠左衛門久次の娘。奉綱。初め忠四郎、後源太左衛門。

慶安四年十二月十一日、十二歳で遺跡を継ぐ。明暦元年、初めて将軍家綱に拝謁する。明暦三年正月五日、江戸で本間左兵衛と喧嘩し、渡辺飛騨守治綱の采地寺部に蟄居する。後、尾張徳川光友に仕え、三十口月俸を賜る。延宝五年十一月三日没する。三十八歳。

bullet渡辺 図書 恒綱

渡辺図書清綱の嫡子。母は三枝土佐守守惠の娘。初め七十郎、後半四郎、図書。妻は尾張藩士・渡辺源太左衛門綱久の娘。

寛文九年十一月二十五日、十二歳で将軍徳川家綱に拝謁する。元禄十年十二月五日、家を継ぐ。実弟の渡辺惣十郎興綱と渡辺主税章綱にそれぞれ三百石を分け与え、恒綱自身は三千百石を知行し、小普請となる。元禄十一年三月七日、采地を遠江国山名豊田両郡に移される。宝永七年二月朔日没す。法名夢休。

bullet渡辺 惣十郎 興綱

渡辺図書清綱の二男。

元禄十年十二月五日、父の采地の内三百石を分け与えられ、小普請となる。元禄十一年三月十五日、初めて将軍綱吉に拝謁する。正徳二年六月十九日没す。法名日徳。雜司谷の法明寺に葬られる。

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bullet渡辺 半三郎 章綱

渡辺図書清綱の三男。妻は河原氏の娘。

元禄十年十二月五日、十五歳で父の采地上総国武射村の内三百石を分け与えられ、小普請となる。元禄十一年三月十五日、初めて将軍綱吉に拝謁する。宝永四年十一月十八日ご小姓組の番士に列し、享保八年三月十二日、年頃怠り無い勤務の褒美に黄金一枚を賜る。享保九年十一月十五日より二之丸に勤仕し、享保十年六月朔日西城の御書院に移る。宝暦二年二月十六日、老のため辞職する。このとき、黄金二枚を賜る。安永四年十一月七日没す。九十三歳。法名觀月。浅草本願寺の長敬寺に葬られる。

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bullet渡辺 半四郎 幸綱

渡辺図書恒綱の長男。母は尾張藩士・渡辺源太左衛門綱久の娘。

元禄十六年三月二十八日初めて将軍綱吉に拝謁し、後父に先立ちて没す。

bullet渡辺 帯刀 紀綱

渡辺図書恒綱の二男。母は尾張藩士・渡辺源太左衛門綱久の娘。妻は岡野備中守成勝の娘。

宝永七年三月二十三日、遺跡を継ぎ、四月十九日初めて将軍家宣に拝謁する。享保四年六月二十六日寄合に列し、元文四年十一月三日没す。法名閑休。

bullet渡辺 半三郎 邦綱

渡辺帯刀紀綱の長男。妻は土方丹後守豊義の娘。

享保十六年十一月二十三日、初めて将軍吉宗に拝謁する。元文三年八月八日、父に先立ちて没す。二十六歳。

bullet渡辺 図書頭 貞綱

渡辺帯刀紀綱の二男。初め富五郎、後図書、図書頭。従五位下。妻は土屋平八郎亮直の娘。

初め渡辺主水保綱の養子となり、その家を継ぐ。兄半三郎邦綱の死後家に戻り、父紀綱の嗣子となり、これまでの食禄を収める。元文四年十二月二十七日、二十二歳で遺跡を継ぎ、采地三千百石を知行する。元文五年三月二十五日初めて将軍吉宗に拝謁する。宝暦九年一月十六日より火事場見廻を勤め、明和五年一月十一日御使番となる。同年十二月十八日、布衣の着用を許される。明和八年十一月朔日小普請支配となり、安永四年四月十二日甲府勤番支配に進み、七月朔日、従五位下図書頭に叙任する。天明元年八月二十六日西城の御槍奉行に移る。天明六年十月二十日より本城に勤仕する。寛政八年十二月十日、後の将軍家慶に附属となって、西城に候す。

bullet渡辺 鍋三郎 寛綱

渡辺図書頭貞綱の婿養子。板倉甲斐守勝里の三男で、渡辺図書頭貞綱の娘を妻とする。初め方綱。

宝暦十一年二月二十五日、二十五歳で初めて将軍家重に拝謁する。

bullet渡辺 主計 房綱

渡辺鍋三郎寛綱の長男。母は渡辺図書頭貞綱の娘。妻は渡辺豊前守信綱の娘。

bullet土屋 源七郎 盛直

渡辺鍋三郎寛綱の二男。初め良綱。

土屋数馬匡直の養子となる。

bullet大久保 甲五郎 徳綱

渡辺鍋三郎寛綱の四男。

大久保平次郎忠寛の養子となる。

bullet渡辺 甲斐守 考綱

側衆、渡辺輝綱の子。初め恵三郎、後甲斐守、肥後守。従五位下。

弘化三年九月、召出されて小納戸となる。嘉永四年三月、徳川家定付小姓となる。安政元年三月、中奥小姓に進む。安政三年十一月、家督三千百石を継ぐ。安政五年二月、伊勢山田奉行に転ずる。安政六年九月、外国奉行に進む。同年十一月辞任して寄合となる。万延元年、再び召出されて新番頭となる。文久元年一月、浦賀奉行となる。文久二年七月、小姓組番頭となり、同年十月、書院番頭となる。文久三年八月、大目付に進む。同年十二月、将軍家茂の供役として上洛する。翌年の元冶元年五月、京都二条城に於いて、一橋家家老に任じられる。慶応元年四月、講武所奉行に転じる。同年五月、第二次征長軍に参加。慶応二年九月、帰府する。幕府は既に文久二年に兵制改革に着手していたが、歩兵の銃隊化を図って、慶応二年十月に奥詰槍術方・講武所詰をもって遊撃隊を編成し、その遊撃隊頭に任命される。慶応三年四月、病気の為に辞任を申し出て許され、隠居する。