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独り言

 

渡辺家のことを調べている時、製作者はよく考え事をします。大したことを考える訳では無いのですが、このコーナーはちょっとその考え事のメモというような感じで書いていきたいとおもいます。出来れば時々このページを更新していこうと思っています。


bullet2000年6月18日

最近、ちょっと疑問に思った事があります。

関ヶ原の戦い後、家康は大名87家を取り潰し、3家を減封して没収高622万石を、蔵入地への編入、徳川一門と譜代大名の取り立て、戦功者の加封に当てました。これによって、彦根の井伊家を筆頭に多くの譜代大名が出来たわけですが、なぜ渡辺半蔵守綱は大名に取り立てられなかったのでしょうか。渡辺家は徳川(松平)家譜代の家臣であり、渡辺半蔵守綱は徳川十六神将の一人とうたわれた人なのに、どうして尾張徳川家の家臣となったのか。成瀬隼人正正成と竹腰山城守正信も尾張徳川家に仕えましたが、この両家は「御付家老」として、ただの尾張徳川家の家老ではなく、幕府の出先機関として藩主・藩政を指揮監督しました。また、成瀬家と竹腰家は三万石の知行地を持っていました。(成瀬家は後に五千石加増された。)それなのに、なぜ渡辺守綱は「普通の」尾張徳川家の家臣に成ってしまったのでしょうか。

一つの理由としては、渡辺家が一族共に三河一向一揆に加担して、家康に反抗した事が考えられます。しかし、守綱は後に許されていて、家康の関東入国後、三千石を与えられています。関ヶ原後、もっと加増があっても良かったのではないでしょうか。守綱は慶長十六年(1614)尾張徳川家付けとなって寺部城主となり、一万四千石を知行地として貰っていますが、それは完全に陪臣の身であって、大名や御付家老とは違う立場です。六十一万九千五百石を領した尾張徳川家の家中で一万四千石の家臣だった渡辺家は成瀬家、竹腰家に次ぐ家柄だったと思いますが、それでも陪臣には代わりありません。

後に守綱の孫の渡辺吉綱が幕臣となり、後に一万三千石を与えられて諸侯に列しています。渡辺家以外に尾張徳川家の家臣で大名を出した家は成瀬家ぐらいだと思うのですが、これは渡辺半蔵守綱が諸侯に列しなかったことに関連しているかも知れません。

書物によっては渡辺半蔵家を「尾張藩の付家老」としている物も存在します。しかし、渡辺半蔵家は成瀬家、竹腰家と同格な家老では無かった様です。それでも尾張徳川家家中で一万石以上の大名格の家臣は、成瀬隼人正家(三万五千石)、竹腰山城守家(三万石)、渡辺半蔵家(一万四千石)と石河伊賀守家(一万九石余)だけだったと思います。

ここら辺のことは、今後もっと調べたいと思っています。

 

bullet2000年5月20日

このサイトを設立してもうすぐ一ヶ月になります。一昨日の時点で訪問者が300人を超え、いつの間にか今年一月に設立した私の日本語のホームページよりも通算訪問者が増えていました。これはきっと、他のHPからリンクして下さった方々のお陰で「半蔵流渡辺家?これ何だ?」と思って訪問して下さった方達のお陰だと思います。

はっきり言って、このHPは「目玉商品」が無いような気がします。大抵のHPは何か目的があって訪問しますが、当サイトは「渡辺家のことについて知りたい」という人意外にはあまり興味が無いサイトだと思います。また、そういう人が居ても私の親戚ぐらいでしょう。せめて、渡辺半蔵守綱のことをもっと知っていれば、それが「目玉商品」になるのですけど。(渡辺半蔵の事ももっと調べたいと思っています。) 青松葉事件の事ももっと知っていればその事だけででも立派なHPが出来たと思います。だけどまあ、このHPはこれで良いのかなとも思います。とにかく「渡辺新左衛門家」の系図が知りたくて始めたサイトですからね。

そう言えば、先日『蜻蛉切』の製作者のHiDECKさんと電子メールを交わしました。『蜻蛉切』は「リンク集」でも紹介させて頂いていますが、「徳川四天王」と「徳川十六神将」の一人に数えられる本多忠勝についてのサイトです。その時に思ったのですが、徳川家臣団についてのサイトは『蜻蛉切』以外には今までに無かったと思います。今までに織田信長とその家臣団(柴田勝家、明智光秀、前田利家等)、甲斐武田氏とその家臣団、真田家、斎藤道三、徳川家康、それに明治維新関係のサイトを多く見つけてきましたが(とくに新撰組関係のサイトは多いですね)、徳川家臣団のサイトは『蜻蛉切』以外に見た事が有りません。徳川家関係はあまり人気が無いのでしょうか?この『半蔵流渡辺家・嵯我源氏』のサイトも徳川家臣団のサイトの一つに数えられる様な立派なサイトに育てていこうと思っています。頑張って「槍の半蔵」のことを調べなきゃ!

同じ系図系統のサイトでも、同じく「リンク集」で紹介させて頂いている『浦地氏・歴史と史跡』は本当に良く浦地氏のことが調べてあり、脱帽です。私はまだ渡辺新左衛門家の系図の作成中で、現時点では江戸時代初期の渡辺新左衛門秀綱と、後期の渡辺新左衛門惟綱の間にまだ大きな穴があり、その穴埋め作業だけでもまだまだ時間がかかりそうです。

でも何を隠そう、現在このHPに載っている情報の大半は私が過去三ヶ月間にインターネットで調べて見つけたものです。渡辺家の系図は95パーセント以上、インターネットで見つけて、またインターネットで知り合った家系図作成名人の藤原さんや他の方々の情報を合わせて作り上げていった物です。そう考えると、本当にインターネットの威力に関心してしまいます。