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はじめに

 

もし、何方か渡辺新左衛門家のことをご存知であれば、ぜひ教えてください。

母方の渡辺家は尾張藩重臣の渡辺新左衛門家です。渡辺新左衛門在綱(御年寄列、二千五百石、五百石足高)は慶応四年(1868)正月二十日、名古屋城二之丸で「朝命」によって処刑されました。渡辺新左衛門を始め14士が処刑された、この出来事を「青松葉事件」と言います。渡辺新左衛門在綱は私の祖母、渡辺千代の四代前の人物です。渡辺新左衛門の長女千代はは私の祖母の曾祖母にあたるそうです。

渡辺新左衛門在綱後の系図は判っています。しかし、それ以前は全く判明していませんでした。19年以上前、祖父が以前は系図が在ったが盗まれてしまったとか、「渡辺の綱から来てるそうじゃな」と渡辺家の方々と話しているのを聞いたことは覚えていますが、それも証拠があるものでは在りません。

という訳で、私も渡辺家の系図を調べ始めました。調べるとは言っても、アメリカに住んでいる私がそう簡単に日本歴史の資料を入手することが出来るわけではありません。インターネットで出来るだけのことは調べてみようと思い、このプロジェクトを始めました。渡辺新左衛門家は二千五百石の大身でした。だからその系図を調べることは容易いことだと思いながら始めたのですが、結構てこずっています。

『実説・名古屋城青松葉事件』によると、在綱の先代が惟綱だったそうですが、それ以前のことがなかなか分かりません。

ところが、それから数代前のことは分かりました。分かるどころか、数代前からそれ以前になると、何十代もはっきり分かります。

まず、渡辺新左衛門家は尾張藩士渡辺家の分家で、本家は渡辺半蔵家だということが分かりまた。半蔵家は「槍の半蔵」という異名を誇った、三河松平(徳川)家譜代の家臣、渡辺半蔵守綱に始まっています。半蔵家は尾張藩が出来た時に尾張藩の一万四千石の重臣となって、明治維新まで続いています(明治維新には一万石だった)。渡辺守綱家の分家の一つは和泉伯太藩・一万三千石の大名となっています。渡辺新左衛門家はその渡辺半蔵家の分家なのです。新左衛門家の墓は、半蔵家の墓と一緒に守綱寺に在ります。

では、渡辺半蔵守綱の前はどうだったのか。渡辺半蔵守綱は家康のために働いた有名な武将だったし、守綱の子孫で半蔵家の分家の一つが大名だったので、調べるのは結構簡単でした。以前に祖父が話していたように、渡辺家は渡辺綱から始まっているようです。渡辺綱は結構有名な人ですが、その人は嵯峨源氏の人です。と言うことは、そこから嵯峨天皇につながり、それ以前は天皇家の系図と一緒になります。

今の時点では、どこから新左衛門家が半蔵家から分かれたのかは分かっていません。(名古屋に居たら、守綱寺に行って調べることが出来ると思うのですが。)インターネットで藤原さん(藤原鎌足の子孫です)という方が、趣味で家系図調査をしていて、その方が半蔵家本家の系図を調べてくださいました。

角川書店『愛知県姓氏歴史人物大辞典』によると、

守綱の弟政綱の子秀綱に始まる系も尾張徳川家に仕えており(寛政譜)、江戸期にも知行高二千石を有し、上屋敷を名古屋片端筋竪杉之町、下屋敷を尾張国愛知郡前津村(名古屋市)にもち、菩提寺は寺部の守綱寺とある(九十九之塵)。

『実説・名古屋城青松葉事件』によると、渡辺新左衛門在綱の屋敷は「片端筋、竪杉ノ町南東各、門北向」(現在の名古屋市東区泉一丁目四付近)とあります。また、新左衛門在綱の知行は二千五百石、内五百石足高でした。こうしてみると、秀綱が新左衛門家の祖だと推定して間違えないのではないかと私は思います。更に、藤原さんの話によると、徳川家康の時代に渡辺半十郎政綱の号が「新左衛門」だったと言います。また、新左衛門在綱の嫡男の名前が「半十郎」でした。

新左衛門家の系図を調べるのには、まだまだ月日がかかりそうです。でも色々な資料に目を通していくうちに、嵯峨源氏の渡辺家についての情報がどんどん増えていきます。初めは個人のサイトの一隅に学んだ事を書き始めましたが、今後もっと情報が増えていくのを期待して、半蔵流嵯峨源氏の渡辺家の為のサイトを作りました。これからも多くの資料を見つけて、このサイトを充実させたいと思っています。

なお、当HPでは三河国額田郡浦辺に移住した渡辺源次道綱とその子孫を全体的に「半蔵流」として取り扱っていますので、ご了承ください。

 

平成十二年四月二十六日

 

Mitz (改め渡辺長門守Mitz綱)

:渡辺長門守Mitz綱は勿論、私の本名ではありません。私の姓は「渡辺」でもありません。しかし、家系調査の最中、元禄十年に渡辺新左衛門家の当主が渡辺長門守だったことが判明しました。新左衛門と名乗っては最も渡辺新左衛門家の方々に対して失礼だと思い、当HPに限って「渡辺長門守」を勝手に名乗らせて頂きます。「綱」は勿論、渡辺家の諱(いみな)です。無断借用をお詫び申し上げます。

以下が、渡辺新左衛門家と私の関係の系図です。(2001年2月現在)


 

もし、何方か渡辺新左衛門家のことをご存知であれば、ぜひ教えてください。