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御付家老

上へ 尾張藩士の形成 御付家老 年寄 尾張藩士渡辺家

『日本歴史大辞典』によると、御付家老とは「江戸時代において、幕府がその親藩たる三家三卿を政治上監督するために、それらに対して特に設置した直接任命の家老職である」とある。その職務は、幕府の政策に違反しないように藩政や藩論を指導したり、藩主への諫言をすることであった。

慶長十八年、渡辺半蔵守綱は徳川家康に呼ばれ、尾張藩主徳川義直に附属された。この様な立場にあった「御付家老」は犬山の成瀬隼人正家、今尾の竹腰山城守家、駒塚の石河家、大高の志水家、三河寺部の渡辺半蔵家であった。『士林泝』では、これらの各氏を「幕下御付属衆」と称し、尾張藩内では格別の身分取扱いをうけていた。

著名な御付家老としては、紀伊徳川家の安東帯刀(39,000石)、水野対馬守(35,000石)、尾張徳川家の成瀬隼人正(35,000石)、竹腰山城守(30,000石)、水戸徳川家の中山備前守(25,000石)がある。

「御触書寛保集成」宝永四年七月条に次のように見える。

尾張殿家老 成瀬隼人正
同       竹腰山城守
紀伊殿家老 安藤帯刀
同       水野主計
尾張殿家老 渡辺飛騨守

この表記から、一般の家老同様を示していて、つまり幕府法上ねては正式な職名ではなかった。

藩内における御付家老の立場としては、藩内では独立的立場にあり、「忠臣二君に仕えず」に反した立場にあった。また、大名並の領地を有したが、藩の支配下にあった。

尾張藩では成瀬家・竹腰家を「両家年寄」と称し、石河家・志水家・渡辺家は「万石以上の年寄」と称した。その地位は対等であり、家柄家老であった。

石河、志水、渡辺の三氏は「半蔵御付家老には無之候」とか「志水小八郎御付家老に准し候」を見れば判るように、幕府からも御付家老とは呼ばれず、それに准じた特遇を与えられていたのにすぎなかった。しかし、江戸城中では大名と同席していた。また、江戸屋敷も所有していた。

渡辺半蔵家は守綱の時代に近江にて四千石、尾張にて五千石、三河国寺部にて五千石を領していた。つまり、所領の多くは尾張藩からではなく、幕府から頂いていた。