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名古屋城

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平成十二年(2000)正月、名古屋城で。

 

平成十二年(2000)十二月四日朝、名古屋城に行って来た。名古屋城には同年一月にも行って来たのだが、そのときに「尾藩勤王・青松葉事件之遺跡」碑を探したが見つからなくて戻ってきてしまった。それからその碑の在り場所が判り、今回はその碑を見るだけのために名古屋城へ行ったようなものだった。

青松葉事件は製作者の先祖である尾張藩御年寄・渡辺新左衛門在綱が処刑された、尾張徳川家のお家騒動である。

「尾藩勤王・青松葉事件之遺跡」碑は名古屋城東門を入って左側にあるきしめん屋の隣りにあり、ちょっと隠れた様な場所にあった。

この石碑は、昭和初期に投じ歩兵第六連隊に在務していた一人の青年将校が、独断で第十中隊兵舎北玄関脇に建てたらしい。現在愛知県体育館所在付近に在った。しかし、この位置が十四士の斬首が行われた所かどうかは判らない。

昭和三十八年(1963)一月二十九日、二之丸向屋敷址に県体育館建設工事が始められた。工事に支障があるということで撤去された「尾藩勤王・青松葉事件之遺跡」碑は行方不明になってしまったという。

現在の「尾藩勤王・青松葉事件之遺跡」碑は青松葉事件の遺族の寄進に依って昭和六十三年(1988)復元された物である。

 

「青松葉事件の遺跡」碑1

「青松葉事件の遺跡」碑2

「青松葉事件の遺跡」碑の説明

 

「青松葉事件之遺跡」碑のはす向い、もっと目立った所(二之丸庭園の隅)に「王命に依って催されるゝ事」碑が立っている。これも「青松葉事件之遺跡」を建てた将校が独断で建てたという。

「王命に依って催されるゝ事」は初代尾張徳川義直(徳川家康第九子)著『軍書合鑑』の末尾に書かれているもので、「王命に依って催されるゝ事」によって初代からの尾張藩の勤王を示した、と言われている。

 

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