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名古屋に滞在中、金山に在るANAグランコート名古屋に泊まった。毎朝、時差ぼけで毎朝早く目が覚めたので散歩に出掛けるのが習慣だった。 平成十二年(2000)十二月五日の朝は金山から西に歩き始め、堀川まで歩くと堀川に沿って南に歩いていった。そして、「住吉橋」を渡った。この時、名古屋に在る守綱寺が「住吉町」に在る事を思い出した。 ホテルに戻ってから、名古屋市の地図で「住吉町」というのを探したが、見つからなかった。その後、父と話したところ、父は「住吉町は、確か中区に在ったのではないか」と教えてくれた。伯父にも聞いてみたら、住吉橋の近くではないか、と言った。 それから数時間、幾つかの名古屋市の地図で「守綱寺」を探した。地図の隅から隅まで探して、やっと一つの地図に「守綱寺」が記されているのを見付けた。これは中区にあったので、これが探していた「守綱寺」に違いない。しかし「住吉町」では無く、「栄三丁目」に在ると地図は示している。 この日の夕方、守綱寺に足を向けた。
栄交差点から南西に歩いて約十五分、「守綱寺」が在るはずの辺りまで来た。付近をぐるりと回ったが、お寺らしき建物は見渡らない。何度も回っていると、「守綱寺」と書かれた表札を見付けた。
表札のある敷地内に入ると、お寺らしきものは無い。鉄筋コンクリートの家が一軒、それに木造の大きな家が一軒並んでいた。「守綱寺」は何処に行ってしまったのだろう。 せっかくここまで来たのだから、せめて「守綱寺」はどうなってしまったのか聞きたくて、木造の家のブザーを鳴らした。女性の方が出てきたので、事情を説明した。その後、黒い着物を来た男性の方が出てきて、応接間に通された。 この方が名古屋守綱寺の住職、羽塚尚明氏。私が以前から渡辺新左衛門在綱の子孫であると聞いていてアメリカから家系調査をしているという話をすると、「丁度、私もちょっと時間がある時にいらっしゃいましたね」とおっしゃって、一時間くらいに渡ってお話なさって下さった。 羽塚氏が話してくださった内容は次のような事だった。
この日はとても幸運だった。幾つかの地図を探して「守綱寺」を見つけ出したのも幸運だったし、こうやって名古屋守綱寺住職羽塚尚明氏のお話を伺う事が出来たのは最高だった。ちょっと守綱寺に押しかけていった様な感じで、羽塚住職にご迷惑を掛けたのではないかと心配はしているが、御住職が大変ご親切にして下さったことを感謝している。 名古屋守綱寺の現住所は名古屋市中区栄三丁目21番地13号。江戸時代から昭和時代後期までここは「住吉町」だったようだ。
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