WatanabeTitleInv.gif (3303 バイト)

住吉町守綱寺

上へ 名古屋城 住吉町守綱寺 蓬左文庫 寺部陣屋 名古屋平和公園 鶴舞 青松葉屋敷址

名古屋に滞在中、金山に在るANAグランコート名古屋に泊まった。毎朝、時差ぼけで毎朝早く目が覚めたので散歩に出掛けるのが習慣だった。

平成十二年(2000)十二月五日の朝は金山から西に歩き始め、堀川まで歩くと堀川に沿って南に歩いていった。そして、「住吉橋」を渡った。この時、名古屋に在る守綱寺が「住吉町」に在る事を思い出した。

ホテルに戻ってから、名古屋市の地図で「住吉町」というのを探したが、見つからなかった。その後、父と話したところ、父は「住吉町は、確か中区に在ったのではないか」と教えてくれた。伯父にも聞いてみたら、住吉橋の近くではないか、と言った。

それから数時間、幾つかの名古屋市の地図で「守綱寺」を探した。地図の隅から隅まで探して、やっと一つの地図に「守綱寺」が記されているのを見付けた。これは中区にあったので、これが探していた「守綱寺」に違いない。しかし「住吉町」では無く、「栄三丁目」に在ると地図は示している。

この日の夕方、守綱寺に足を向けた。

 

map006.jpg (51690 バイト)
守綱寺付近の地図。

 

栄交差点から南西に歩いて約十五分、「守綱寺」が在るはずの辺りまで来た。付近をぐるりと回ったが、お寺らしき建物は見渡らない。何度も回っていると、「守綱寺」と書かれた表札を見付けた。

sj001.jpg (20741 バイト)

 

表札のある敷地内に入ると、お寺らしきものは無い。鉄筋コンクリートの家が一軒、それに木造の大きな家が一軒並んでいた。「守綱寺」は何処に行ってしまったのだろう。

せっかくここまで来たのだから、せめて「守綱寺」はどうなってしまったのか聞きたくて、木造の家のブザーを鳴らした。女性の方が出てきたので、事情を説明した。その後、黒い着物を来た男性の方が出てきて、応接間に通された。

この方が名古屋守綱寺の住職、羽塚尚明氏。私が以前から渡辺新左衛門在綱の子孫であると聞いていてアメリカから家系調査をしているという話をすると、「丁度、私もちょっと時間がある時にいらっしゃいましたね」とおっしゃって、一時間くらいに渡ってお話なさって下さった。

羽塚氏が話してくださった内容は次のような事だった。

bullet

『角川日本姓氏歴史人物大辞典23<愛知県>』は『金鱗九十九之鹿』を資料として渡辺新左衛門家の菩提寺を寺部守綱寺とし、渡辺半蔵家の菩提寺を住吉町の守綱寺としているが(これは同書を読んでから「何故渡辺新左衛門家の菩提寺が渡辺半蔵領内の守綱寺なのか」と疑問に思っていたのだが)、これは反対なことが分かった。渡辺半蔵家の歴代当主は寺部守綱寺に眠っているという。羽塚氏は私に「東京の渡辺さんとはお話されましたか?」と聞かれた。「東京の渡辺さん」とは現在は東京に居られる渡辺半蔵家の御当主で、今も一年に一度は寺部守綱寺にお墓参りするという。

bullet

寺部の守綱寺はもっと大きな「お寺らしい」寺院で、住職の渡辺晃純氏は平日は真宗本山に行かれているという。羽塚氏は丁寧に寺部の守綱寺の住所を教えて下さった。

bullet

新左衛門家の墓は以前は住吉町の守綱寺に在ったが、全て名古屋平和公園へ移されている。平和公園の守綱寺墓地に一人で行ったのでは新左衛門家の墓を見付けるのには容易なことではない。(注:   この時は知らなかったが、水谷盛光著『尾張徳川家明治維新内紛秘史考説 -青松葉事件資料集成-』の中で水谷先生は自分で渡辺新左衛門在綱の墓を探しに行ったが見つけることが出来ず、何本も立っている「渡辺家之墓」の何れかに合葬されているのかと思ったと書かれている。) また特に新左衛門在綱の墓は「朝敵」として斬首された後に作られているため、石碑も立派ではない、と羽塚氏は仰った。

bullet

羽塚氏は長年掛けて青松葉事件の真実の追及をされた水谷先生にも何度もお会いになっさているが、残念なことに水谷先生は二年程前にお亡くなりになられたという。(注:   これも後日知ったことだが、『尾張徳川家明治維新内紛秘史考説 -青松葉事件資料集成-』の中で、水谷先生は羽塚氏からご指導をを受けて、新左衛門在綱の墓とその先代、新左衛門惟綱の墓碑を探し出すことが出来た事を書かれている。)

bullet

羽塚氏は、「新左衛門の子孫という方たちは多いです」と告げられた。

bullet

一番驚いたのが、現在も渡辺新左衛門家に当主がいる、という事だった。「渡辺次郎さんとお話してみると良いですよ」と仰って、羽塚氏は名簿帖をわざわざ出してきて下さった。私が二十年アメリカ暮らしの事を始めに説明したので「漢字は大丈夫ですね」とまで気遣って下さった。渡辺次郎氏は十七代目の新左衛門だという。羽塚氏の話だと、渡辺次郎氏は直系の子孫では無く、戸籍上の名跡を継いでいる方だという。また次郎氏には男のお子様がいらっしゃらないので、「最後の新左衛門」だろうと羽塚氏は説明して下さった。ご住職は、「宜しければ私の方からも次郎氏に電話を入れておきますよ。」とまで仰って下さった。

この日はとても幸運だった。幾つかの地図を探して「守綱寺」を見つけ出したのも幸運だったし、こうやって名古屋守綱寺住職羽塚尚明氏のお話を伺う事が出来たのは最高だった。ちょっと守綱寺に押しかけていった様な感じで、羽塚住職にご迷惑を掛けたのではないかと心配はしているが、御住職が大変ご親切にして下さったことを感謝している。

名古屋守綱寺の現住所は名古屋市中区栄三丁目21番地13号。江戸時代から昭和時代後期までここは「住吉町」だったようだ。

 

map001.jpg (53279 バイト)
江戸時代の守綱寺付近(徳川美術館蔵「名古屋井熱田図」。寛延元年(1748)以降、宝暦十三年(1763)以前の成立と推定されている。
読みにくいが、「守綱寺」と書かれている(下の図参照)。
江戸時代には住吉町の南端(突き当たり辺り)に在ったようだ。
江戸時代には、この地域に多くの寺社が並んでいた。
map002.jpg (58575 バイト)
「守綱寺」の右に二つ、「渡辺」と書かれているものが在るが、渡辺「何」と書かれているか判らない。「渡辺半蔵家中」であろうか。

sumi001.jpg (37454 バイト)
今でも「住吉町」とサインにはある。ちょっとした繁華街だが、ここから少し南に行った所に守綱寺はある。