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青松葉屋敷址

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平成十二年(2000)十二月十日、この日はアメリカに戻る日だった。たった一週間の日本滞在だったが、今回訪ねたかった史跡は大体見てくることが出来た。住吉町守綱寺の御住職、羽塚氏と十七代渡辺新左衛門の渡辺次郎夫妻の話を伺えたのは最高の出来事だった。

この日は午後五時過ぎの名古屋港発だったので、朝は「青松葉屋敷」こと、渡辺新左衛門の屋敷が在った所を見に行く事にした。この日は雨が降っていた。地下鉄市役所駅で下車。市役所は名古屋城三之丸に在る。雨の中、歴代の渡辺新左衛門が下城して帰宅した路を自分でも歩みたいと思い、そこから「青松葉屋敷」があった片端筋、竪杉ノ町南東角、門北向、現在の名古屋市東区泉一丁目四付近に行くには反対方向ではあるが、名古屋城正門に近い二之丸付近(二の丸交差点)に出た。

二の丸交差点から南に下ると本町橋に辿り着く。以前、そこには三之丸と城下を区切る本町門があり、その門中に渡辺半蔵家の屋敷があった。

 

名古屋城付近の図
江戸時代の守綱寺付近(徳川美術館蔵「名古屋井熱田図」。寛延元年(1748)以降、宝暦十三年(1763)以前の成立と推定されている。
現在の二の丸交差点角には成瀬隼人正と武腰山城守の屋敷があった。
現在はそれぞれ名城病院、県警本部となっている。
そこから少し南に下ると渡辺半蔵の屋敷があった。
現在は貯金事務センターになっている。

渡辺半蔵の屋敷

 

本町橋を渡り、外堀に沿って東に向かって十五分程歩くと現在の名古屋市東区泉一丁目四に辿り着く。水谷盛光先生の調べによると、青松葉事件以前から渡辺新左衛門の屋敷は「青松葉屋敷」と呼ばれていたらしい。江戸時代の城下の地図を見ると、二千石の大身に相応しい、大きな屋敷がここに建っていたようだ。新左衛門家ここで七十人もの家族を擁していたという。新左衛門家は下屋敷を尾張国愛知郡前津村に持っていた。また、尾張徳川十四代慶勝の元治元年(1864)の「土著割」制度によって、知行地の一つである則武ノ庄五女子村を居住とした。

 

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外堀を過ぎて直ぐの所に渡辺新左衛門の屋敷、「青松葉屋敷」が在った。
この図では「渡辺半十郎」となっている。

 

勿論屋敷の跡が在る訳でもない。今の泉一丁目四付近には高層アパートが立ち並んでいる。外堀にそって、名古屋高速都心環状線が通っていて、江戸時代の面影は全く残っていない。

 

泉一丁目四付近1
泉一丁目四付近。上は名古屋高速都心環状線。ここに「青松葉屋敷」が在った。

 

泉一丁目四付近2

 

泉一丁目四付近3

 

泉一丁目四付近4