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尾張藩士の渡辺家

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      徳川
将軍家
尾張
徳川家
半蔵家
当主
新左衛門家
当主
半九郎家
当主
世の中の出来事 半蔵家の出来事 新左衛門家の出来事 半九郎家の出来事    
1596 慶長     守綱 秀綱       5/25:新左衛門政綱、病死。   慶長
1597 慶長   守綱 秀綱         慶長
1598 慶長   守綱 秀綱   國松(後の小半蔵)勝綱(重綱長男)、生まれる。     慶長
1599 慶長   守綱 秀綱         慶長
1600 慶長 (東条)
松平
忠吉
守綱 秀綱 9/15:関ヶ原の戦い。

家康四男松平(東条)忠吉、尾張清須52万石に封じられる。
  秀綱、関ヶ原に出陣。   慶長
1601 慶長 守綱 秀綱 徳川頼宣、駿府50万石に転封。   半十郎直綱(秀綱二男、惣領)、生まれる。   慶長
1602 慶長 守綱 秀綱         慶長
1603 慶長 家康 守綱 秀綱 成綱 2/12:徳川家康、征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命される。     忠四朗成綱(半蔵守綱三男)、13歳で召し出されて徳川秀忠に仕える。 慶長
1604 慶長 守綱 秀綱 成綱   忠七郎忠綱(重綱三男)、武蔵国で生まれる。     慶長
1605 慶長 秀忠 守綱 秀綱 成綱 4/16:徳川家康、将軍職を徳川秀忠に譲る。       慶長
1606 慶長 十一 守綱 秀綱 成綱 徳川家康、駿府に移動。 半蔵張綱(重綱四男)、伏見で生まれる。     慶長 十一
1607 慶長 十二 義直 守綱 秀綱 成綱 尾張(清須)藩主松平(東条)忠吉、江戸にて死去。

家康九男徳川義直、47万2344石にて名古屋に入封。
      慶長 十二
1608 慶長 十三 守綱 秀綱 成綱         慶長 十三
1609 慶長 十四 守綱 秀綱 成綱         慶長 十四
1610 慶長 十五 守綱 秀綱 成綱 名古屋城築城開始。 守綱と重綱、幕府から五千石および尾張徳川義直からも五千石が加増され、三河加茂郡寺部5000石、尾張藩領内5000石、武蔵松山3000石、近江坂田郡10000石、合計14000石の大名格領主となり、三河寺部領主となる。

小半蔵勝綱、召し出されて将軍秀忠に仕える。
秀綱、守綱とともに尾張徳川義直配属となり、500石を賜る。   慶長 十五
1611 慶長 十六 守綱 秀綱 成綱   大学吉綱(重綱五男、駿府で生まれる。     慶長 十六
1612 慶長 十七 守綱 秀綱 成綱   内匠三綱(重綱六男、後の綱貞)、駿府で生まれる。     慶長 十七
1613 慶長 十八 守綱 秀綱 成綱         慶長 十八
1614 慶長 十九 守綱 秀綱 成綱 11月:大阪冬の陣(〜12月)。 守綱、義直の初陣に従い、大阪へ出陣、義直の先陣となる。

小半蔵勝綱、将軍秀忠に従い大阪へ出陣。
新左衛門秀綱と半十郎直綱、徳川義直に従い大阪へ出陣。   慶長 十九
1615 元和 守綱 秀綱 成綱 4月:大阪夏の陣(〜5月)。
7月:武家諸法度(元和令)配布。
守綱、義直を供して大阪に出陣。


小半蔵勝綱、将軍秀忠に従い大阪へ出陣。

忠七郎忠綱(重綱三男)、十二歳で徳川秀忠に召されて出仕、重綱から半蔵家の所領の内、武蔵国比企郡3000石を与えられ幕臣となる。

勝綱、病死。
秀綱、直綱、徳川義直に従い大阪へ出陣。

半十郎直綱、後の紀州徳川頼宣に駿府で召し出される。
  元和
1616 元和 守綱 秀綱 成綱 4/17徳川家康、死去。       元和
1617 元和 守綱 秀綱 成綱       成綱、徳川家光に附属させられ、御書院番を勤め、采地300石を賜う。 元和
1618 元和 守綱 秀綱 成綱   忠蔵仲綱(重綱二男)、病死。 景綱、徳川義直に初御目見。   元和
1619 元和 守綱 秀綱 成綱 徳川頼宣、駿府50万石に転封。紀伊国和歌山55万5千石に転封。   景綱、御進物番として召し出される。   元和
1620 元和 重綱 秀綱 成綱   4/9:守綱名古屋にて死去。重綱、家督相続。     元和
1621 元和 重綱 秀綱 成綱     景綱、御供番となり300石を知行する。   元和
1622 元和 重綱 秀綱 成綱         元和
1623 元和 家光 重綱 秀綱 成綱   7/22:忠綱、20歳で没する。大学吉綱(重綱五男)、忠綱の跡を継ぐことを許されて、徳川秀綱に召し出される。     元和
1624 寛永 重綱 秀綱 成綱   吉綱、重綱に戻された忠綱の遺領、武蔵国比企郡で3000石を賜る。     寛永
1625 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1626 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1627 寛永 重綱 秀綱 成綱   内匠三綱(重綱六男)、徳川家光に召し出されて御小姓組に列し、采地500石を賜る。     寛永
1628 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1629 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1630 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1631 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1632 寛永 重綱 秀綱 成綱         寛永
1633 寛永 重綱 秀綱 成綱       2/7:成綱、200石の加増を受ける。 寛永
1634 寛永 十一 重綱 秀綱 成綱         寛永 十一
1635 寛永 十二 重綱 秀綱 成綱 武家諸法度(寛永令)配布。       寛永 十二
1636 寛永 十三 重綱 秀綱 成綱         寛永 十三
1637 寛永 十四 重綱 秀綱 成綱 10/25:島原の乱、発足。       寛永 十四
1638 寛永 十五 重綱 秀綱 成綱         寛永 十五
1639 寛永 十六 重綱 秀綱 成綱     景綱、父直綱の知行と入れ替えになり、350石を知行する。   寛永 十六
1640 寛永 十七 重綱 秀綱 成綱     6月 景綱、鉄砲組足軽御預となる。   寛永 十七
1641 寛永 十八 重綱 秀綱 成綱   張綱、新知2000石を賜る。 景綱、江戸上屋敷御作業奉行となる。   寛永 十八
1642 寛永 十九 重綱 秀綱 成綱         寛永 十九
1643 寛永 二十 張綱 秀綱 成綱   重綱隠居、隠居領2000石を賜る。張綱、家督相続。 景綱、御船奉行となる。   寛永 二十
1644 正保 張綱 秀綱 成綱         正保
1645 正保 張綱 秀綱 成綱   12月:治綱、諸太夫となり、右馬允と名乗る。     正保
1646 正保 張綱 秀綱 成綱     景綱、150石の加増を受ける。   正保
1647 正保 張綱 秀綱 成綱     相綱、初めて徳川義直に御目見。   正保
1648 慶安 張綱 秀綱 成綱   11/1:重綱死去。藤蔵長綱(重綱七男)、重綱の隠居料を相続、寄合となる。     慶安
1649 慶安 張綱 秀綱 成綱         慶安
1650 慶安 光友 張綱 秀綱 成綱       8/15:成綱、病死。 慶安
1651 慶安 家綱 張綱 秀綱 綱久   8/16:吉綱、従五位下丹後守に叙任する。 11月:景綱、御国奉行となる。 12/11:忠四朗綱久(渡辺図書助宗綱二男)、成綱の遺領を相続。 慶安
1652 承応 張綱 秀綱 綱久         承応
1653 承応 張綱 秀綱 綱久   2月:張綱、3000石加増。
張綱、飛騨守と改名。
    承応
1654 承応 張綱 秀綱 綱久         承応
1655 明暦 張綱 秀綱 綱久         明暦
1656 明暦 張綱 秀綱 綱久     景綱:200石の加増を受ける。   明暦
1657 明暦 宣綱 秀綱 綱久 1/18:江戸にて明暦の大火。 10/20:張綱病死。宣綱、家督相続。   綱久、江戸で本間左兵衛と喧嘩、左兵衛を討つ。渡辺飛騨守治綱の采地寺部に蟄居する 明暦
1658 万治 宣綱 秀綱 綱久     相綱、召し出されて後供番となり、150石を知行する。   万治
1659 万治 宣綱 景綱 綱久     秀綱、名古屋にて病死。

徳川義直、秀綱の知行300石を新六有綱に与える。
  万治
1660 万治 宣綱 景綱 綱久         万治
1661 寛文 宣綱 景綱 綱久   11/8:吉綱、大阪城の定番となる。この日、河内国志紀、古市、丹北、和泉国大鳥、泉五郡の内において新恩一万石を賜り、すべて一万三千五百石余を領し諸侯に列す。     寛文
1662 寛文 宣綱 景綱 綱久     相綱、御歩行頭となる。

12月:有綱、病死。
  寛文
1663 寛文 宣綱 景綱 綱久 武家諸法度(寛文令)配布。   2/21:相綱、加増を受け300石となる。

11/25:相綱、五十人頭となる
  寛文
1664 寛文 宣綱 景綱 綱久     景綱、300石の加増を受ける。   寛文
1665 寛文 宣綱 景綱 綱久     3/4:相綱、新御番頭となる。   寛文
1666 寛文 宣綱 景綱 綱久 3/26:酒井忠清、大老に就任。       寛文
1667 寛文 宣綱 景綱 綱久     4/9:相綱、御書院番頭となる。   寛文
1668 寛文 宣綱 景綱 綱久 4/11:保科正之、会津家訓十五箇条を制定。 9/1:長綱、病死。半治(後の基綱)長綱の知行2000石の内1500石を相続、長太郎(後の定綱)500石を相続。 7月:弼綱、初御目見。   寛文
1669 寛文 宣綱 景綱 綱久         寛文
1670 寛文 宣綱 景綱 綱久     12/25 弼綱、御側御小姓となる。   寛文
1671 寛文 十一 宣綱 景綱 綱久 3/27:仙台藩士原田甲斐宗輔、大老酒井忠清屋敷にて伊達安芸宗重を殺害。【伊達騒動】   景綱、500石の加増を受ける。

季綱(景綱五男)、初御目見。
  寛文 十一
1672 寛文 十二 宣綱 景綱 綱久     6/23:新平(景綱三男、左右田与右衛門養子)病死。

12/10:景綱、同心十騎賜る。
  寛文 十二
1673 延宝 宣綱 景綱 綱久     3/2:季綱、松平義行の小姓となる。

3/5:景綱、御国年寄となり、500石の加増を受ける。
  延宝
1674 延宝 宣綱 景綱 綱久         延宝
1675 延宝 宣綱 景綱 綱久     3/5:景綱、500石の加増を受ける。
半太夫元網(相綱嫡子)、初御目見。

10/18:相綱、御用人となり、700石を加増される。
  延宝
1676 延宝 宣綱 景綱 綱久     11/9:弼綱、御歩行頭となり、300石を知行する。   延宝
1677 延宝 宣綱 景綱 顕綱       3/10:半九郎顕綱、尾張徳川光友に初御目見。1500石で召し抱えられる。
綱久、三河寺部にて100人扶持で召し抱えられる。

11/3:綱久、病死。
延宝
1678 延宝 宣綱 景綱 顕綱     12/27:相綱、御番頭となる。   延宝
1679 延宝 宣綱 景綱 顕綱         延宝
1680 延宝 綱吉 宣綱 景綱 顕綱   8月、基綱、大井藩主渡辺越中守方綱の末期養子となる。これに伴い、定綱、兄基綱の知行の内1000石を相続。     延宝
1681 天和 宣綱 景綱 顕綱   6;27:大隅守綱貞、八丈島に流される。 11月、弼綱、寄合となる。   天和
1682 天和 宣綱 相綱 顕綱 武家諸法度(天和令)配布。   4/22:角倉与右衛門(渡辺次郎助、景綱二男)病死。

8/19:景綱、隠居。相綱、家督を相続して、知行2000石となる。
  天和
      元網     11/7:相綱病死。

12/27:元網、知行2000石のうち1500石を相続。寄合となる。
     
1683 天和 宣綱 元網 顕綱         天和
1684 貞享 宣綱 元網 顕綱         貞享
1685 貞享 宣綱 元網 顕綱   6月:定綱、元服。   6/1:顕綱、御用人となる。

9/6:顕綱、善左衛門と改名。
貞享
1686 貞享 宣綱 元網 顕綱     3/3 :弼綱、病死。

3/15:景綱、病死。
  貞享
1687 貞享 宣綱 元網 顕綱 2月:生類憐れみの令発足。       貞享
1688 元禄 宣綱 元網 顕綱     10/10:元網、御番頭となる。 9/22:顕綱、綱誠の傅役となり、500石の加増を受ける。 元禄
1689 元禄 定綱 元網 顕綱   1/16:宣綱病死。

2/1:半平(定綱)、半蔵宣綱の跡目相続。名を半蔵と改める。

7月:定綱、初御目見。
    元禄
1690 元禄 定綱 元網 顕綱         元禄
1691 元禄 定綱 元網 顕綱         元禄
1692 元禄 定綱 元網 顕綱         元禄
1693 元禄 綱誠 定綱 元網 顕綱       4/27:顕綱、御年寄役となり、2000石の加増を受け、騎馬同心十二騎を預かる。監物と改名する。 元禄
1694 元禄 定綱 元網 顕綱         元禄
1695 元禄 定綱 元網 顕綱     1/13:元網、徳川五郎太の傅役となる。

1/29 :久綱、初御目見。
  元禄
1696 元禄 定綱 元網 顕綱       顕綱、病につき罷免。2000石減禄される。 元禄
1697 元禄 定綱 元網 顕綱   1/18:定綱、老中御用見習となる。     元禄
1698 元禄 十一 定綱 元網 顕綱         元禄 十一
1699 元禄 十二 吉通 定綱 元網 顕綱     7/13:元綱、御側大寄合同心頭格となる。   元禄 十二
1700 元禄 十三 定綱 元網 顕綱   12月:定綱、 諸太夫となり、飛騨守と改める。 11月:季綱、病死。

12/21 元網、500石加増される。
  元禄 十三
1701 元禄 十四 定綱 元網 顕綱 3/14:浅野内匠頭長矩、江戸城松之大廊下で吉良上野介義央を切り付ける。       元禄 十四
1702 元禄 十五 定綱 元網 顕綱 12/14:大石内蔵助良雄及び赤穂浪士、吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介義央を殺害。   11/22:久綱、元服して半十郎と名乗る。   元禄 十五
1703 元禄 十六 定綱 元網 富綱     勘九郎(元綱二男)、初御目見。

11月:勘九郎、御側御小姓となり、蔵米50石を受ける。

11/2:元綱、同心七騎を預かる。
8/28:顕綱、隠居。半九郎富綱、知行2000石のうち1500石を相続、大寄合となる。

9月:顕綱、断髪して道船と改名。
元禄 十六
1704 宝永 定綱 元網 富綱     5/20:勘九郎元服。

6月:勘九郎、内膳と改名。

6/27 :内膳、兵部と改名。
  宝永
1705 宝永 定綱 元網 富綱     5/3:兵部、下條庄右衛門正春の婿養子となる。

6/8:兵部、新内と改名。
  宝永
1706 宝永 定綱 元網 富綱 1/11:柳沢吉保、大老に就任。   1/21:元綱、300石加増され、御城代並となる。   宝永
1707 宝永 定綱 元網 富綱         宝永
1708 宝永 定綱 元網 富綱   源之助直綱(定綱二男)、生まれる。 1月:綱忠、旗本渡辺主税章綱の仮養子となる。

4/4:元網、御城代となり、騎馬同心足軽を預かる。
  宝永
1709 宝永 家宣 定綱 元網 富綱 1/20:生類憐れみの令廃止。   4月:綱忠の仮養子の件が不縁となる。

9月:善之助(季綱惣領)、浅岡平次郎高秀の養子となる。
  宝永
1710 宝永 定綱 元網 富綱 武家諸法度(正徳令)配布。 源三郎綱保(定綱三男)、生まれる。     宝永
1711 正徳 定綱 元網 富綱   11/2:定綱の嫡子、大膳病死。     正徳
1712 正徳 家継 定綱 元網 富綱         正徳
1713 正徳 五郎太 定綱 元網 富綱         正徳
1714 正徳 継友 定綱 元網 富綱         正徳
1715 正徳 直綱 元網 富綱   2/10:定綱、死去。源之助(直綱)、定綱の末期嫡子となり、家督を相続。     正徳
1716 享保 吉宗 直綱 元網 富綱   8/3:直綱、半蔵と改名。 8/25:為次郎(元綱四男)、寺西図書政矩の知行1000石の内400石をもって士官、寺西家の養子となる。   享保
1717 享保 直綱 元網 富綱 2月:大岡越前守忠相、初めて江戸南町奉行となる。

徳川吉宗、享保の改革開始。

武家諸法度(享保令)配布。
  5/19:久綱、御城詰となる。 5/22:忠四朗(年冨弟)、召し出されて御小姓となり50石を賜る。 享保
1718 享保 綱保 元網 富綱   7/20:直綱、病死。

8/28:源三郎綱保(直綱弟)、直綱の名跡を継ぐ。
    享保
1719 享保 綱保 久綱 富綱     6/14:元網、病死。

8/19:久綱、家督2300石を相続、大寄合となる。

9/11:御前年寄役となり、江戸定詰となる。

9/12:久綱、新左衛門と改名。

9月:久綱、同心三騎が配属される。

10/8:弾正と改名。
3/24:忠四朗、10石の加増を受ける。

5/3:冨綱、主馬と改名。

12/23:忠四朗、斉と改名。
享保
1720 享保 綱保 久綱 富綱         享保
1721 享保 綱保 久綱 富綱     7/14:久綱、700石を加増される。   享保
1722 享保 綱保 久綱 富綱         享保
1723 享保 綱保 久綱 富綱 6月:足高の制、執行。   6/9:同心二騎が追加される。 1月:斉、源五右衛門と改名。 享保
1724 享保 綱保 久綱 富綱       6月:冨綱、寄合触流となる。 享保
1725 享保 綱保 久綱 富綱     12/26:久綱、諸太夫となり、長門守と改名。   享保
1726 享保 十一 綱保 綱忠 富綱     1/13 :久綱、江戸にて病死。

2/3:綱忠、実兄久綱の家督3000石の内2000石の相続が認められ、大寄合となる。

5/9: 綱忠、新左衛門と改名。
10/28:源五右衛門、御側御小姓帰役となる。 享保 十一
1727 享保 十二 綱保 綱忠 富綱       3/15:源五左衛門、寺西藤左衛門の名跡を継いて寺西昌凭となる。 享保 十二
1728 享保 十三 綱保 綱忠 富綱         享保 十三
1729 享保 十四 綱保 綱忠 富綱         享保 十四
1730 享保 十五 宗春 綱保 綱忠 富綱         享保 十五
1731 享保 十六 綱保 綱忠 富綱       6/21:半七奉綱(監物顯綱三男)、召し出されて萬五郎(徳川宗春長子)御小姓となり、蔵米50石を賜る。 享保 十六
1732 享保 十七 綱保 綱忠 富綱       5/18:顕綱、病死。 享保 十七
1733 享保 十八 綱保 綱忠 富綱       11月:奉綱御抱傅役打込御番相勤となる。 享保 十八
1734 享保 十九 綱保 綱忠 富綱         享保 十九
1735 享保 二十 綱保 綱忠 富綱     3/19:綱忠、弾正と改名。   享保 二十
1736 元文 綱保 綱忠 富綱   半五郎綱通(綱保嫡子)、生まれる。   2/1:幸綱、表御側御小姓となる。
4月:幸綱、忠左衛門と改名。
元文
1737 元文 綱保 綱忠 富綱     5/25:綱忠、御年寄列となる。半十郎と改名。 5/11:冨綱、御城代並となる。

11/19:冨綱、500石の加増を受け、龍千代(徳川宗春二男)の傅役となる。
元文
1738 元文 綱保 綱忠 富綱       元文
1739 元文 宗勝 綱保 綱忠 富綱       2月:冨綱、大寄合となる。 元文
1740 元文 綱保 綱忠 富綱 1/12:徳川(尾張)宗春、将軍より隠居謹慎を命ぜられる。     1/19:幸綱、御供組となる。

2/13:幸綱、病を理由の辞職、普請組寄合となる。
元文
1741 寛保 綱保 綱忠 富綱         寛保
1742 寛保 綱保 綱忠 富綱         寛保
1743 寛保 綱保 綱忠 富綱         寛保
1744 延享 綱保 綱忠 富綱     2/14:綱忠、同心十騎を配属される。   延享
1745 延享 家重 綱保 綱忠 富綱         延享
1746 延享 綱保 綱忠 富綱         延享
1747 延享 綱保 綱忠 富綱         延享
1748 寛延 綱保 綱忠 富綱         寛延
1749 寛延 綱保 綱忠 富綱         寛延
1750 寛延 綱保 綱忠 富綱         寛延
1751 宝暦 綱保 綱忠 富綱         宝暦
1752 宝暦 綱保 綱忠 富綱         宝暦
1753 宝暦 綱保 綱忠 富綱   10/19:綱通、初御目見、 8/15:董綱、初御目見。   宝暦
1754 宝暦 綱通 綱忠 富綱   7/27:綱保、病死。半三郎(綱通)、家督相続。

9月:綱通、半蔵と改名。
12月:董綱、元服。 11/5:幸綱、死去。 宝暦
1755 宝暦 綱通 綱忠 富綱         宝暦
1756 宝暦 綱通 綱忠 富綱       3/1:源吉年綱、初御目見。 宝暦
1757 宝暦 綱通 綱忠 富綱         宝暦
1758 宝暦 綱通 綱忠 富綱     2/18:綱忠二男堅綱、召し出されて御部屋奥組となる。   宝暦
1759 宝暦 綱通 綱忠 富綱       7/13:年綱、千石以上寄合となる。 宝暦
1760 宝暦 家治 綱通 綱忠 富綱         宝暦
1761 宝暦 十一 宗睦 綱通 綱忠 富綱       11/16:冨綱、病死。 宝暦 十一
1762 宝暦 十二 綱通 綱忠 年綱       1/6:年綱、家督と衣料2000石を相続し、普請組寄合となる。 宝暦 十二
1763 宝暦 十三 綱通 綱忠 年綱       渡辺要(年綱弟)、野崎甚五左衛門の婿養子となる。 宝暦 十三
1764 明和 綱通 綱忠 年綱         明和
1765 明和 綱通 綱忠 年綱       1/9:年綱、御番頭となる。 明和
1766 明和 綱通 董綱 年綱     10/4:綱忠、隠居、嵩笠と改名。董綱、家督2000石を相続、大寄合となる。

11/4:董綱、新左衛門と改名。
  明和
1767 明和 綱通 董綱 年綱       9/29:年綱、主馬と改名。 明和
1768 明和 綱通 董綱 年綱         明和