WatanabeTitleInv.gif (3303 バイト)

尾張藩士の渡辺家

上へ 松平家仕官前 幕臣の渡辺家 尾張藩士の渡辺家 紀伊藩士の渡辺家

尾張藩主 渡辺半蔵家 渡辺新左衛門家 その他の渡辺家・その他の出来事
慶長18(1613) 徳川義直 7月、渡辺忠右衛門守綱渡辺半蔵重綱、駿府にて家康より徳川義直に附属の命を受ける。義直より五千石、幕府より五千石が加増される。    
慶長19(1614)   守綱重綱、徳川義直の初陣に伴って大坂に出陣、尾張藩の先陣を賜る(大坂冬の陣)。 渡辺新左衛門秀綱、徳川義直附属となり、五百石を知行する。  
元和元(1615)   守綱重綱、徳川義直に伴い大坂に出陣。重綱は尾張藩の先陣を務める。(大坂夏の陣
渡辺忠七郎忠綱、徳川秀忠に召出される。
   
元和2(1616)     渡辺一学直綱、徳川頼宣に召出され、駿河にて三千石を賜る。==>「紀伊藩士の渡辺家  
元和6(1620)   4月、渡辺忠右衛門守綱、名古屋で死去。重綱、家督を相続。
渡辺半蔵張綱、徳川義直に召出され、二千石を賜る。
   
元和9(1623)   重綱、武蔵国の采地三千石を忠綱に与える。七月、渡辺忠七郎忠綱死去。渡辺大学吉綱、徳川秀忠に召出される。    
寛永元(1624)   吉綱、武蔵国の采地三千石を与えられる。==>「幕臣の渡辺家」    
寛永4(1627)   渡辺内匠綱貞、徳川家光に召出される。    
寛永12(1623)   重綱綱貞に近江国坂田郡の采地の内千石を分け与える。==>「幕臣の渡辺家」    
寛永18(1641)   重綱、尾張藩家老となる。    
寛永20(1643)   重綱、致仕する。張綱、家督を相続。重綱、隠居料として采地二千石を賜る。張綱、尾張藩年寄となる。    
正保2(1645)   張綱、従五位下、右馬允に任ぜられる。    
慶安元(1648)   渡辺忠右衛門重綱、名古屋で死去。
渡辺藤蔵長綱、重綱の隠居料二千石を相続する。
   
慶安4(1651) 徳川光友   渡辺新左衛門景綱、御国奉行となり、二百石の加増を受ける。  
承応元(1652)     7月、景綱、三百石の加増を受ける。  
承応2(1653)   張綱、飛騨守に任ぜられ、三千石を加増される。渡辺半蔵宣綱、将軍家綱に拝謁する。    
明暦3(1657)   渡辺飛騨守張綱、名古屋にて死去。宣綱、家督を相続。   1月、渡辺源太左衛門奉綱、江戸に於いて本間左兵衛と喧嘩し、三河国寺部に移り、三十口月俸を賜る。
寛文元(1661)     3月、景綱、御国奉行として塩村に赴き、村内のキリシタン24名を捕らえ、名古屋へ護送する。  
寛文2(1662)       12月、渡辺郷右衛門有綱死去。
寛文5(1665)     10月、景綱、御国御用人となり、二百石の加増を受ける。  
寛文7(1667)       11月、渡辺八郎右衛門定綱死去。渡辺八郎三郎(八郎右衛門)紀綱、家督を相続。
寛文8(1668)   渡辺藤蔵長綱、名古屋にて死去。    
寛文11(1671)     景綱、五百石の加増を受け、老中連判となる。  
寛文12(1672)     景綱、同心十騎を与えられる。  
延宝3(1675)     2月、景綱、御国老中となり、尾張藩年寄に列する。  
延宝5(1677)       11月、渡辺源太左衛門奉綱死去。渡辺監物顯綱、采地千五百石を賜り、寄合となる。
天和2(1682)     8月、景綱致仕する。渡辺半十郎相綱、家督を相続。
10月、渡辺半十郎相綱死去。
12月、渡辺半太夫(新左衛門)元綱、家督を相続、寄合となる。
 
貞享元(1684)       渡辺新助宗綱、召出されて新御番となり、二十口月俸を賜る。
貞享2(1685)       5月、顯綱、御用人となる。
貞享3(1686)     6月、渡辺新左衛門景綱死去。  
元禄元(1688)     10月、元綱、大番頭となる。 9月、顯綱、徳川綱誠の傅臣となり、五百石の加増をうける。
元禄2(1689)   2月、渡辺半蔵宣綱死去。渡辺半蔵定綱、家督を相続。    
元禄6(1693)       4月、顯綱、御老中となり、二千石の加増を受け、同心十二騎を与えられる。
元禄8(1695)     1月、元綱、徳川五郎太の傅臣となる。
1月、渡辺半十郎久綱、初めて将軍に拝謁する。
 
元禄9(1696)       6月、顯綱、免職されて寄合となり、二千石を召上げられる。
元禄10(1697)   1月、定綱、老中御用見習となり、尾張藩年寄に列す。    
元禄12(1699) 徳川吉通   7月、元綱、江戸に於いて御側大寄合同心頭格となる。 4月、渡辺八郎三郎紀綱、死去。渡辺八郎右衛門村綱、家督を相続。
元禄13(1700)   定綱、従五位下、飛騨守に任じられる。 12月、元綱、五百石の加増を受け、都領二千石となる。  
元禄16(1703)     11月、元綱、江戸に於いて同心七騎を与えられる。
11月、下条沼右衛門孝正、召出されて御小姓となり、俸禄を賜る。
8月、顯綱、致仕し、善左衛門と名を改める。渡辺主馬當綱、家督を相続、寄合となる。
宝永2(1705)     4月、下条孝正、養父の家督・千二百石を相続、寄合となる。  
宝永3(1706)     1月、元綱、江戸に於いて三百石の加増を受け、御城代並となる。  
宝永5(1708)     4月、元綱、御城代となる。  
正徳4(1714) 徳川継友     渡辺新助宗綱死去。渡辺郷右衛門昌綱、家督を相続。
正徳5(1715)   2月、渡辺飛騨守定綱死去。
4月、渡辺半蔵直綱、家督を相続、大寄合となる。
   
享保元(1716)     8月、寺西藤左衛門昌豊、養父の家領の内四百石を分け与えられて寄合となる。  
享保3(1718)   7月、渡辺半蔵直綱死去。
8月、渡辺半蔵綱保、家督を相続。
   
享保5(1720)     6月、渡辺新左衛門元綱死去。
8月、久綱、家督を相続して大寄合となる。
9月、久綱、江戸に於いて老中となり、尾張藩年寄に列し、更に江戸定府となり、同心を与えられる。
 
享保6(1721)     7月、久綱、七百石の加増を受けて、都領三千石となる。  
享保9(1724)       12月、渡辺八郎右衛門村綱死去。渡辺八郎右衛門政綱、養父家領内二百五十石を相続。
享保10(1725)     12月、久綱、従五位下、長門守に任じされる。  
享保11(1726)     1月、渡辺長門守久綱、江戸にて死去。
2月、渡辺新左衛門綱忠、家督の内二千石を相続、大寄合となる。
 
享保16(1731)       6月、渡辺忠左衛門奉綱、国丸の御小姓となり、俸禄を受ける。
享保19(1734) 徳川宗春     11月、當綱、触流となる。
元文2(1737)     5月、綱忠、御老中並となる。  
延享元(1744) 徳川宗勝   2月、綱忠、同心九騎を与えられる。  
寛延元(1748)       1月、渡辺郷右衛門久綱、弓稽古科十枚を賜る。
宝暦4(1754)   7月、渡辺半蔵綱保死去。
9月、渡辺半蔵綱通、家督を相続。
  11月、渡辺忠左衛門奉綱、隠居する。
宝暦8(1758)     2月、渡辺九八郎堅綱、召出されて徳川宗睦の奥組付属となり、五十石及び五口月俸を賜る。 2月、渡辺九八郎堅綱、召出されて徳川宗睦の奥組付属となり、五十石及び五口月俸を賜る。
宝暦11(1761) 徳川宗睦     8月、渡辺九八郎堅綱、表組付属となる。
11月、渡辺主馬當綱死去。
宝暦12(1762)       1月、渡辺主馬年綱、家督を相続し、禮劒寄合となる。
明和2(1765)       1月、渡辺主馬年綱、御番頭となる。
明和3(1766)     10月、綱忠、致任する。渡辺半七(新左衛門)董綱、家督を相続して大寄合となる。  
明和4(1767)       渡辺八郎右衛門政綱死去。渡辺八郎右衛門某、家督を相続。
安永3(1774)       4月、堅綱、御部屋御小姓立となり、加増を受ける。
安永5(1776)   12月、綱通、従五位下、飛騨守に任じられる。   2月、堅綱、表組付属となる。
天明2(1782)   大給松平石見守乗祇の二男(渡辺半蔵綱光)、綱通の養子に迎えられる。    
天明3(1783)   綱光、徳川宗睦に初めて拝謁する。    
天明5(1785)   綱光、江戸にて将軍家治に初めて拝謁する。    
寛政6(1794)   大給松平乗友の二男(渡辺半蔵規綱)、綱光の養子に迎えられる。 渡辺半十郎(新左衛門)維綱渡辺新左衛門董綱の子として生まれる。 10月、渡辺半九郎(源太左衛門)豊綱、養父渡辺主馬年綱の家督を相続。
寛政12(1800) 徳川斉朝 渡辺飛騨守綱通死去。綱光、家督を相続。    
文化元(1804)   綱光、致仕する。渡辺半蔵規綱、家督を相続。    
文化4(1807)     1月、渡辺新左衛門維綱、家督を相続。  
文化13(1816)   規綱、尾張藩年寄に列し、従五位下、飛騨守に任じられる。    
文政2(1819)   規綱、致仕して、兵庫守と名乗る。渡辺半蔵寧綱、家督を相続。    
文政3(1820)   規綱、剃髪して兵庫入道と名乗る。 渡辺半七(新左衛門)在綱渡辺新左衛門維綱の長男として生まれる。  
天保9(1838) 徳川斉温 10月、渡辺半蔵綱光死去。    
天保10(1839) 徳川斉荘 9月、寧綱、尾張藩年寄に列す。    
天保14(1843)   寧綱、尾張藩年寄を解任。    
弘化元(1844)       7月、渡辺半九郎(監物)ト綱、家督を相続。
嘉永7(1854)
安政元(1854)
徳川慶勝 2月、寧綱、黒船の来航により出府し、江戸の警護に当たる。
12月、寧綱、従五位下、飛騨守に任じられる。再度尾張藩年寄に列す。
渡辺半十郎在綱、江戸で尾張藩の警備隊の隊長として尾張藩士を指揮する。 1953、ペリー来航。
11月、渡辺半九郎(対馬守)壽綱、家督を相続。
安政2(1855)   寧綱、尾張藩年寄を解任。    
安政5(1858) 徳川茂栄   渡辺新左衛門維綱、尾張藩年寄に列す。  
安政6(1859)     8月、渡辺新左衛門維綱死去。
10月、在綱、家督を相続。
安政の大獄。
万延元(1860)   渡辺飛騨守寧綱死去。渡辺半蔵綱倫、家督を相続する。 在綱、尾張藩年寄に列す。 桜田門外の変。
文久元(1861)   綱倫、皇女和宮降嫁の道中警護に当たる。    
文久3(1863) 徳川義宜 綱倫、尾張藩年寄に列す。従五位下、飛騨守に任じられる。    
元冶元(1864)   7月、綱倫、蛤御門にて尾張藩士を指揮する(蛤御門の変)。
9月、渡辺飛騨守綱倫自殺。
12月、渡辺半蔵綱聰、家督を相続。
8月、在綱、総督徳川慶勝を供して尾張藩の一隊を率い、長州征伐に参加。
11月、在綱、安芸国で長州三家老の首級実験に列座。
 
慶応元(1865)   綱聰、尾張藩年寄に列す。規綱、綱聰の後見役を務める。    
慶応4(1868)
明治元(1868)
    1月、渡辺新左衛門在綱、世に言う「青松葉事件」で名古屋城二之丸にて処刑される。
渡辺安綱、新左衛門家の家名を相続。
1月、鳥羽伏見の戦。
明治2(1869)   6月、綱聰、寺部領の版籍を奉還する。 渡辺半十郎、脚気で死去。  
明治3(1870)     渡辺亘、新左衛門家を相続。